今日が最後だとわかっていたなら

2023年01月01日 16:46

新年明けましておめでとうございます。
今年も、癒しと安らぎのグリーフケアカフェで、
みなさまとお会いできますことを楽しみにしております🍀

その前に少しだけふるさとの岐阜へ帰省しました。
忙しい日々でも、一年に一度は母に会いに行きます。

生きている間に両親に会えるのは、あと何回?
そんなことを考えたことありませんか。

一年に一度会いに行くことが出来たとしても、
親があと10年生きられたとしたら、あと10回です。
たったの10回ーー。

しかも、この10回も必ずではありません。
明日の命が保障されている人なんて、この世界に誰もいないのです。

自分も、自分の大切な人の命も、
今日、明日、突然…ということだってあり得ます。

3.11のアメリカ同時多発テロで多くの方が亡くなり、
その後、ある本が注目を集めました。
一人のアメリカ人女性が10歳の息子を亡くし、その悲しみを綴った詩です。

そこには何度もこの言葉が出てきます。

「今日が最後だとわかっていたら」

今日が最後だと知らず、明日も明後日もいつものように、
大切な人は、自分のそばから離れることはないと思っていたけれど、
ほんとうはそうではなかった…

当たり前ではなかったのだという、
たくさんの後悔と愛おしさが綴られています。

今日がこの世界に生きる最後の日だとすると、
今日が大切な人とのお別れの日だとすると、
みなさんは今日という日をどう生きるでしょう。

人は必ずいつか死ぬのです。
それが早いか遅いか、悔いが残るか、残らないか。

それは、当たり前ではない今に、どれほど幸せかを噛み締めて、
後悔のない今を、生ききることが出来るかに尽きているのです。


「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら

一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、

わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を

伝える時を持とう そうすれば

もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

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