病気になったら

2023年01月21日 17:47

看護師をしていますと、時折患者さまがこんなお言葉を口にされることがあります。

『迷惑をかけて、ごめんなさいね』
『忙しいのに、ごめんなさい』

子どもの頃、もしかしたらみなさんも、親や周りの人から一度は言われたことのある言葉かもしれませんが、私はこんな言葉を思い出しました。

『人に迷惑をかけない人間になりなさい』
『人のお役に立てる人間になりなさい』

子どもの頃、言われてきたこの言葉が染みついていると、
人は知らず知らずのうちに、誰かに迷惑をかけることは『いけないこと』になり、迷惑をかけてしまうと『自分は至らない人間だ。自分は悪い人間なんだ』と思ってしまうことがあるんです。

自分を責めてしまうはじまりは、
こんなところからはじまるのかもしれません。

そして、人の役に立っていないと感じたとき、
自分の存在価値を見失ってしまうこともあるのです。

もちろん、自分のことは自分でやりたいですよね。

食事を食べること、歯を磨くこと、排泄をすること、
歩くこと、想いを言葉にすること、眠ること…

健康であれば当たり前に出来ていたことが、
誰かのお世話にならないといけなくなるなんて、
申し訳ない気持ちにもなりますし、とても辛い気持ちにもなります。

『人の世話になりたい』

なんて人は、この世界に誰もいないのですから。

だけれど、ほんとうはこの世界で、人に迷惑をかけずに生きている人なんて、誰もいないと思うんです。

日々の生活の中、住んでいる家も、食料も、衣類も、
そして、それを売ってくださっている人や、
それを作ってくださっている人たち…
そういう人たちに助けられて、普段から私たちは生きています。

私たちは、たくさんの人の手に、心に支えられて、
『生かせていただいている』んですよね。

ほんとうは、一人で生きてゆける人はこの世界に誰もいません。

そして、もう一つ大切なこと。

それは、何不自由なく動いていた身体が、
ある日、動かなくなったときー。

人はそのとき、当たり前が『当たり前でなかった』ことに気づかされます。

そして、大切な人を失ったとき、その人がどれほど自分の心を痛めるほどに、大切な人だったのかを気づかされます。

そして、失うものを通して、人は誰かの優しさや温もり、
愛に触れるチャンスを与えられたりもします。

そして、自分のすべてをさらけ出しても、
どれほど失うものがあっても、
ありのままに愛されることの出来る自分にも
出会う機会を与えられるのです。

どれだけ病を患い、社会的地位や名誉を失ったとしても、
たとえ身体が動かなくなったとしても、
人はみんな愛されることのできる、価値ある人間なのです。

「迷惑かけてごめんね」は、
至らないと感じている自分自身を責めてしまう言葉。

ですから、そんな自分自身も受け止めてあげてほしいのです。

私たち医療従事者も、そんな患者さまの、
辛いなら辛いであろう想いの中で、
苦しいなら苦しいであろうその想いの中で、
共に在りたいと思います。

『ただ、あなたが笑ってくれることが嬉しくて、あなたの力になりたくて、この仕事が大好きだからやっている。』

そうお伝えしたい。

病と生きるすべての人の看護師となり、
私ががみなさんに伝えたい言葉をご紹介しますー。


『恵のとき〜病気になったら〜』
晴佐久神父/サンマーク出版2005年

『病気になったら』

病気になったら、どんどん泣こう。

痛くて眠れないといって泣き、
手術がこわいといって涙ぐみ、
死にたくないよといって、めそめそしよう。

恥も外聞もいらない。
いつものやせ我慢や見えっぱりをすて、
かっこわるく涙をこぼそう。

またとないチャンスをもらったのだ。
自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを。


病気になったら、おもいきり甘えよう。

あれが食べたいといい、こうしてほしいと頼み、
もうすこしそばにいてとお願いしよう。

遠慮も気づかいもいらない、
正直に、わがままに自分をさらけだし、
赤ん坊のようにみんなに甘えよう。

またとないチャンスをもらったのだ。
思いやりと まごころに触れるチャンスを。


病気になったら、心ゆくまで感動しよう。

食べられることがどれほどありがたいことか、
歩けることがどんなにすばらしいことか、
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか、
忘れていた感謝の心を取りもどし、
この瞬間に自分が存在しているという神秘、
見過ごしていた当り前のことに感動しよう。

またとないチャンスをもらったのだ。
いのちの不思議に、感動するチャンスを。


病気になったら、すてきな友達をつくろう。

同じ病を背負った仲間、日夜看病してくれる人、
すぐに駆けつけてくれる友人たち。

義理のことばも、儀礼の品もいらない。
黙って手を握るだけですべてを分かち合える、
あたたかい友達をつくろう。

またとないチャンスをもらったのだ。
神様がみんなを結んでくれるチャンスを。


病気になったら、必ず治ると信じよう。

原因がわからず長引いたとしても、
治療法がなく悪化したとしても、
現代医学では治らないといわれたとしても、
あきらめずに道をさがし続けよう。

奇跡的に回復した人はいくらでもいる。
できるかぎりのことをして、信じて待とう。

またとないチャンスをもらったのだ。
信じて待つよろこびを生きるチャンスを。


病気になったら、安心して祈ろう。

天にむかって思いのすべてをぶちまけ、
どうか助けてくださいと必死にすがり、
深夜、ことばを失ってひざまづこう。

この私を愛して生み、慈しんで育て、
わが子として抱き上げるほほえみに、
すべてをゆだねて手を合わせよう。

またとないチャンスをもらったのだ。
まことの親である神に出会えるチャンスを。


そしていつか、病気が治っても治らなくても、

みんなみんな、流した涙の分だけ優しくなり、

甘えとわがままをこえて自由になり、

感動と感謝によって大きくなり、

友達に囲まれて豊かになり、

天の親に抱きしめられて
自分は神の子だと知るだろう。

病気になったら、またとないチャンス到来。
病のときは恵みのとき。

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